§3

 ストーブに灯がともされ、橙色の光が部屋の中を仄明るく照らし出した。

 キアナは炎が安定したのを確認して炉の扉を閉め、横に目をやる。その先、入口そばの壁際に、暗がりに溶け込むようにして黒ずくめの子どもの姿があった。

「荷物をそこに置いて、身につけているものを脱ぎなさい」

 キアナは立ち上がり、冷然と命令した。

 子どもは一度目を見開いて、顔をしかめる。

「いきなり何ですか。そういう御趣味には付き合えませんよ」

 それにも、キアナは表情を変えることはない。

「ませたことを。趣味なら幾分か楽しいだろうが、これは仕事だ。物騒なものを隠し持たれていては困るから」

「そんなもの持ってやしませんよ」

「昼間、袖から短刀を投げたり爆竹を撒いたりしていたのは?」

 子どもが溜め息を吐く。

「あのですねぇ、何を見てたんですかあなたは。私は大道芸人ですよ。あんな小道具、なまくら刀とただの花火に決まってるじゃないですか。それだって芸の前に仕込むのであって、普段から身につけてるわけじゃ――」

「ならさっさと脱いで証明してみせなさい。それとも自分では出来ない?」

 キアナが一歩詰め寄り、ぴくりと身じろぎする子ども。

「……分かりましたよ、もう」

 そう言って、子どもは不服そうに唇を尖らせながらトランクを足元に置き、渋々と帽子を取った。その際結い髪が乱れたので、そのまま髪飾りの布とリボンを解く。ぼさぼさになった癖っ毛を撫でつけると、外套の前を留めてある金具を外した。

「そこからはゆっくりと」

「はいはい」

 口をはさんだキアナに、子どもは面倒臭そうに返事をして、大げさなくらいのろのろと外套を脱いだ。ひっくり返した帽子の中に髪飾りや外套を丸めて詰め込み、トランクの上に置く。

「派手な衣装」

 外套の下から現れた深紅色の中華服を見て、キアナがぽつりと呟いた。

「客引き用ですから」

 さらりと応えて子どもはそれも脱ぐ。下は長めの白いシャツだったが、その腰には布帯が巻いてあり、短刀の鞘や何やら幾つもの小袋がぶら下がっていた。

「やはり持っていたな」

 これ見よがしに言うキアナに、子どもは声を荒げる。

「ですからこれは小道具! 路上演技の直後にあなた達が追っかけてくるから、着替える暇がなかったんじゃないですか! いつもは着けてませんよ!」

「いいから、ベルトはそちらの机の上に」

 子どもの言い分は無視して、キアナはそう命じる。それに対し、子どもは唇をへし曲げ、ごとりと大きな音を立てて帯を置いた。

「これで満足ですか?」

 そうして腰に手を当て、反抗的に訊く。キアナは首を横に振る。

「まだだ。シャツと靴と、その手袋も」

 すると子どもは、心底嫌そうな顔をした。

「寒いじゃないですか」

「じきに部屋も暖かくなる。ズボンはいいから」

「…………」

 子どもは黙って屈むと長靴の紐を解きにかかった。

 それを眺めながら、キアナが切り出す。

「あなた、名前は?」

「さあ」

「齢は?」

「言いたくありません」

「出身地は?」

「見たまんまの東洋ですが何か?」

 片方の靴が脱げた。

「大道芸人と言ったが、独りで?」

 子どもはふんと鼻を鳴らし、顔を上げることなく答える。

「何を今更。一人でいたから、こうして目を付けて追いまわして捕まえたんでしょう。でも昼間も言いましたけど、私は別に孤児とかじゃないのでほっといて下さいよ本当に」

「じゃあ親はどこに?」

「とても遠くに」

 もう片方の長靴も脱ぐと、子どもは一足を揃えて机の脇に置いた。それから、シャツのボタンを上から順に外していく。

「いつから独りでいる? 芸を教わったのは親か?」

「少し前までサーカスにいましたので。今は独立して一人で巡業してるんです」

「その齢で? 逃げ出しただけだろう」

「失敬な。ちゃんと団長に実力を認められたんですよ」

 子どもは憤然とシャツを脱ぎ、肌着姿でふんぞり返った。だが、すぐ寒さに縮こまる。

「うぅ。まあそういうわけで、自分の食いぶちは正当に稼いでますので――」

「待て、じゃあの金は何処から持ってきた?」

「あれは私が貯めに貯め込んだ稼ぎじゃないですか」

 シャツを畳んでくるくると丸めながらさらりと答える子どもを、キアナは睨みつけた。

「ふざけるな。そんな齢と職業で、あれだけ貯まるわけがないだろう」

 すると、子どもは面白くなさそうに小さく舌打ちする。

「もう、冗談ですよ。拾ったんですよ、道で。お金が入ってるなんて知りませんでしたし、普通に落し物として交番に届けようと思ってたのに、間の悪いことにあなた達に追いつかれて……本当ですってば、そんなに睨まないで下さい」

 頬をふくらませて訴える子ども。だがキアナの表情はつれない。

「ではさっきの少年との関係は?」

「ああ、あのルース君っていう子ですか。ですから、彼とはあのときたまたま鉢合わせただけですって。ほら、さっきもう一人いた少年――ブライア君のお友達だって、言ってたじゃないですか。私とは全く無関係ですよ」

「どうだか。世間知らずのお坊ちゃん相手に、売春なんかして巻き上げようとしていたんじゃないのか」

 探るような言葉に、子どもはうんざりと肩を落とした。

「ああもう、言うと思いました! 私は大道芸で十分稼げるので、そういうことはしなくて済んでるんです、幸いなことに。全く偏見もいいところですよ。ルース君にだって失礼じゃないですか、彼を変態呼ばわりする気ですか」

「さあ、彼もだいぶうろたえていたように見えたが」

「あなた方が恐い顔で迫るからですよ。そりゃあお坊ちゃんには慣れないでしょうよ、可哀そうに。さっきの話、あなたも聞いたでしょう。友達や家族想いの善良な少年じゃないですか」

 咎めるようにキアナを睨む子ども。だが、キアナはどこか宙を見つめて黙っている。

 子どもは苛立ちも顕に、丸めたシャツを机の上に叩きつけた。

「ともかくですね! 私は全く持って健全ですし、生活困窮者じゃありません。なのであなた方アッザハルの手はお借りしません!」

 そこで、キアナの瞼がぴくりと動いた。

「危険物とかも持ってませんし、分かったらさっさと解放して――」

「何故知っている、アッザハルの名を」

 喚く子どもを遮り、キアナが低い声で訊ねた。

 そんな様子の変化に、子どもは警戒したようにやや身を引いたが、腕を組んで大仰に答える。

「ええ、ええ。昔何度か誘拐されたことがありますのでね、アッザハルの方々には。慈善事業だなんて謳って食べ物で釣って、浮浪児と見るやひっ捕らえようとするんですから」

「食い逃げしたのか」

「下さるというから有難く頂いたまでです」

「……よく何度も逃げおおせたな」

 無表情ながら呆れたように言うキアナに、子どもは当然というふうに頷いた。

「そりゃあ私は芸達者ですから、隙をついて逃げ出すのなんてわけありませんよ。だいだい私は自活出来てるんですから、アッザハルにお世話になる謂われはありませんし。確かに保護が必要な子はたくさんいますけど、今回みたいに勘違いで要らぬお節介はやめて欲しいものです」

 そうしてふいとそっぽを向く。

「勘違い、というわけじゃない。我々があなたを捕まえようとしたのは――」

 キアナは子どもの横顔をを真っ直ぐに見据えた。

「あなたが、“ギフティド”だから」

 その言葉に、子どもは訝しげに振り向く。

「は? ええまあ、サーカスでは“天才”だってもてはやされましたけど」

「そういうことを言っているんじゃない。言葉が分からないわけじゃないんだろう」

「いえ、私は英語が母語なのではありませんからね」

「とぼけなくていい。どんな言語でも、“普通ではない”という類の単語で呼ばれた経験があるはずだ。良い意味か、悪い意味かはあるだろうが」

 子どもをじっと睨むキアナ。

 数秒のあいだ難しい顔をしてから、子どもはへらりと笑って首を傾げた。

「さあ、身に覚えがありませんが」

「……馬鹿な」

 キアナはそう呟いて、つかつかと子どもに近寄った。びくりと後ずさる子どもの片腕をすかさず掴み捻りあげる。子どもが苦痛に顔を歪ませた。

「ごまかせると思うな。ハディアがあなたを同類だと認識した。彼女の感覚は絶対だ」

 声を低めて凄んでみせるキアナ。

「知りませんよ、意味が分かりません! 放して下さい、痛いですってば!」

 ほとんど泣き出しそうに訴え、子どもは体を揺する。だが、びくともしない。

 キアナは険しい表情のまま、強く絞めあげている細い腕をちらりと見やった。

「……なぜ、手袋だけいつまでも取ろうとしない? 私はそれも取れと言ったが」

 防寒用と言うには薄い手袋は、肌着の七分袖の下に隠れるほど長く、完全に素肌を覆っていた。キアナの指摘に、子どもは全身を強張らせた。

 その反応を見るが早いか、キアナは慣れた動作で子どもの足を払い、床に組み伏せる。

「い――っ」

 両手を後ろに取られうつ伏せに押さえつけられた子どもは、細く悲鳴を上げた。

 それを気にも留めず、キアナは片方の手袋をするりと引き抜いて袖をまくりあげる。

「いや! やめてください放して! 触るな!」

 子どもがひどくもがいて喚き散らすなか、キアナはその手首をねじり掌をこじ開け、指先まで鋭い目つきで検分する。

 血管が透けて見えるほど青白く華奢な腕。しかし、ただそれだけの腕。

 キアナは意外そうに眉を顰めた。

「こっ、の!」

 一瞬手が緩まった隙をついて、子どもは素早く拘束をすり抜けた。転げるように後ずさり壁にへばりつき、警戒心むき出しの眼つきでキアナを睨め付ける。素肌をさらしている腕を庇うように抱え込み、荒い息をつく肩は傍目にわかるほど震えていた。

「……すみませんが、私ちょっと潔癖症なもので、出来れば触らないで頂けませんかね。頭では何でもないって分かってても、気持ち悪くて仕方ないんですよ」

 震えを押し殺した声で、子どもは気丈な言葉を絞り出す。

 キアナは立ち上がりながら興味深そうに眉を上げ、それから探るように鋭く目を細めた。

「まあいい。ハディアが見れば、あなたの“ギフト”もいずれ分かること」

「ですから知りませんって……」

 子どもは気分の悪そうな顔で、肌着の鳩尾あたりをぎゅうと握りしめる。そのとき襟口から首に下げた紐がちらと覗いたのを、キアナは見逃さなかった。

「何を持っている? 出しなさい」

 子どもはしまったというような顔でさらに身をすくめた。だが、態度は怯まない。

「ただの、お守りですよ。これも持ってちゃいけないって言うんですか」

「取り上げはしないし、触りもしない。さっきと同じように机に置けばそれでいい。後でちゃんと返す」

「…………」

「早く」

 有無を言わせぬふうに急かされ、子どもは渋々と首から紐の輪を外した。襟からそれを引っ張り出して、ためらいがちにそっとに机の上に置く。輪の先には何か小さな球状の飾りがぶら下がっていたが、キアナはそれを遠目に一瞥しただけだった。

「こんな子ども捕まえて身ぐるみはがして、どういうつもりなんですか。アッザハルってのはやっぱり人買い集団なんですかね」

 反抗的な態度の子ども。キアナは淡々と答える。

「ただの浮浪児ならここまで手間は掛けない。あなたがギフティドだから特に保護しようとしているだけだ。それがアッザハルの最たる務めだから」

「知ったことですか。勝手に使命感燃やさないで下さい」

「私はハディアに従っているまでだ。彼女があなたをどうしてもアルマディナに連れて行くと言っている。最高の環境で何不自由ない生活が送れるようになるんだ、悪い話じゃないだろう」

「丁重にお断りします。人生設計は自分で出来ます」

「あなたに選択権はない」

 にべもなく切り捨てるキアナに、子どもはむっとした。

「ありますとも。そこの窓からいつだって逃げ出せるんですからね」

「そう。では手足を縛りつけておかねばならないな」

「はぁ? ふざけないで下さいよ、私が素直に縛られるとでも――っ!」

 気だるそうに首を振る子どもだったが、途中でひくりと声を詰まらせる。その首筋には、一瞬にして間合いを詰めたキアナによって、鈍く光る細い刃が当てられていた。

「芸達者のあなたにも、私の隙をつくのはそう容易ではないらしい」

 冷たく見下ろす視線を、子どもは負けじと睨み返す。

「潔癖症だというなら極力手を触れないようにして拘束してやる。必要以上に触られたくなければ、大人しくしていなさい」

 子どものこめかみを、冷汗が一筋流れた。