§3

「あの、クレイ、一体どこまで……?」

 巨大トランクを押して前を歩く少女の小さな背に、ルーシャスはようやく声をかけた。

 ヴィンフリートが倒れていると突然言い出し、仕方ないから様子を見に行こうとさっさと歩き出したクレイに、ルーシャスはわけが分からないままついて歩いていた。商店街を抜け、目の前にはもう船着き場が広がっている。海が近いためか風もますます強く吹き荒んでいた。

「あれに見える倉庫まで。そこにいますから」

 クレイが指したのは、小型船が所狭しと停泊している船溜まりのすぐ側にある、古びた建物だった。岸壁際に建つその建物は、海に面した部分は水門になっているようで、おそらく船を格納する設備なのだろう。だが今はシャッターが下りていて、遠目に中の様子を窺い知ることは、もちろん出来ない。

「いるって、ヴィンフリートが?」

「ええ。まだ目を覚まさないみたいなんですが、大丈夫ですかねぇ」

 そう呟くクレイは、まるで今まさにその光景が見えているかのような口ぶりだ。一体どういうことなのか――第一、かの青年なら今朝がたエイミルらと共に旅立ったはずだ。

「あの、本当に?」

「本当ですよ」

「どうして、そんなこと分かるの?」

「分かるものは分かるんですから、どうしてと聞かれましても困りますけど」

 ちっとも説明にならない答えを当然のように返しながら、クレイが振り返る。

「そういうあなたは、やっぱり分からないんですね?」

「……分かるわけないよ?」

 何故そんな当たり前のことを念を押すように確認されなければならないのだろうか。

「そうですか。ふむ」

 クレイは含みのある表情でルーシャスを見上げてくる。

「な、何?」

「いえ。もしかして、私みたいなのを見るのは初めてですか?」

「君みたいなって」

「何と言いますかこう、霊感というか、第六感というか、そういうのが強い人間」

「……君は、そうなの?」

 まさかそれでヴィンフリートの居場所が分かるのだとでも言うのだろうか。

「ええ。私の場合は千里眼とよく言われますけど」

 臆面もなくそんなことを言うクレイ。

「千里眼って、透視とか予言とかできるってこと?」

「そんなところです」

「……本当に?」

「まあ、今まで見たことがないんでしたら疑うのも仕方ありませんが、この中を検めれば分かりますでしょ」

 目的の倉庫の前にたどり着くと、クレイは不敵に微笑んでみせた。その自信ありげな様子と、眼前にそびえるどっしりとした倉庫を見比べ、ルーシャスは考える。

 第六感だの千里眼だの、にわかには信じがたい話だ。だが、ただの冗談でわざわざこんなところまで連れてくるとも思えない。もし本当にここでヴィンフリートが見つかったら、クレイにそういう力があるということになるのだろうが、だとしたらどういうわけで彼がここにいるのか。

 まだ疑念を拭えないルーシャスをよそに、クレイは倉庫正面の錆びた鉄扉を開ける。黒く広がる入口にやや躊躇いながら、ルーシャスは中を覗き込んだ。

 庫内には窓一つ無いらしく、入口から差し込む薄明かりを頼りに目を凝らすしかない。どうやら奥の水門から中ほどまで船が入り込めるような造りになっているようだ。泊っているのは小型船一つだけだったが、まだ何艘も収まるくらいの余地がある。周囲の壁はぐるりと棚が取り付けられていて、木箱や段ボール箱や、よく分からない包みなどが積まれてていた。おそらく、船の積み荷を上げ下ろししたり、一時的に保管したりする場所なのだろう。

「……ヴィンフリートは?」

「そちらに」

「え? うわ」

 クレイが指さす方に目をやると、見落としていた扉のすぐ脇――ルーシャスがいる側の壁際に、仰向けに伸びている人の姿があった。薄暗い中でも、その長身の出で立ちは確かに彼の青年だと判別できた。

「ほんとにいた……」

「ですからそう言ったじゃないですか」

 あまり本気にしていなかったクレイの千里眼がどうやら本物らしいことにも驚きだったが、人が倒れているという非常事態に呆然としてしまう。

 入口に張り付いて固まったルーシャスをよそに、クレイは青年につかつかと歩み寄る。そして、おもむろにその脇腹を蹴った。

「な、何してるの!?」

「いえ、起こしてあげようかと」

「起こすにしたって、やり方ってものが――」

「気にすることはありません。昨日のお返しです」

 悪びれもせずもう一度蹴りを入れるクレイ。すると流石に効いたのか、青年がうめき声を上げて反応した。

「うう…………エルフィ……」

 何事か呟きながら、ヴィンフリートはゆっくりと瞼を開けた。そして、寝ぼけ眼を瞬いて、傍らに立つクレイを見上げる。

「……嬢ちゃん、か? 何でお前さんが――いててて」

 怪訝そうに眉根を寄せ、それで頭痛がしたのかさらに顔を歪めた。その様子をクレイが意地悪そうににやにやと眺めて言う。

「おはようございます、ヴィンフリート・リヒター氏。可愛い妹さんじゃなくて残念でした。楽しい夢から覚めたご気分はいかがです?」

「……最悪だ、全く。一体どういう……ここは……」

 ヴィンフリートは毒づきながら、頭を押さえて上体を起こし、まだぼんやりとした表情でぐるりと辺りを見回した。

「だ、大丈夫、ですか?」

 おずおずと声をかけて初めて、青年はルーシャスに気付いたらしい。

「うおお、お前さんもいたのか、えーっとブライアン? 何でお前さんまで……」

 不思議そうにクレイとルーシャスを交互に見て、それからはたと気がついたように叫んだ。

「お前ら、無事だったのか!! ハディア達は!? 奴らはどこに行った!?」

 突然の剣幕にルーシャスは思わず身をすくめたが、クレイは平然として宥めにかかる。

「貴方こそ無事でなによりでした。まあ落ち着いて下さい、何があったのかちゃんと順を追って話してくれなきゃ分かりませんよ」

「悠長に話していられるか! ハディア達が連れさられたんだよ、そこにあった船で! 早く助けにいかないと――」

 焦った様子でよろめきながら立ち上がろうとするヴィンフリート。だが、クレイは冷やかにそれを制止した。

「お待ちなさいってば。悠長も何も、拉致されてからどれだけ時間が経ったと思ってるんですか」

「……今何時だ?」

「もうじき正午ですけど」

 その答えに、ヴィンフリートは青ざめてへたりと崩れ落ちた。

 一連のやりとりをあっけにとられて眺めていたルーシャスだったが、つい先刻似たような話を聞いたばかりだったことに思い至る。

 クレイも起きぬけに、ハディア達が何者かに連れ去られたと言っていた。それを聞いたルーシャスは、ずっと部屋に閉じこもっていて難を逃れたというクレイがその様子を詳細に知っているのはおかしい、夢を見ただけだろうと高を括って取り合わなかった。しかし今にして思えばどうか。クレイはヴィンフリートがこの倉庫で倒れていることを言い当ててみせたのだ。透視ができるなら、壁を隔てた外の様子など簡単に分かるだろう。

 何が起こっていたのかにようやく気がついて、背筋が寒くなった。

「あの、クレイ」

「何ですか? ルース君」

「さっきの話、皆さらわれたって……本当、だったの?」

 おそるおそる尋ねると、クレイは数秒の間きょとんとして、それから呆れたようにため息をついた。

「ですから、そう言ったじゃありませんか!」

*** 

 落ち着きを取り戻したヴィンフリートが語った顛末はこうだ。

 就寝中に突然何者かに襲われ、目を覚ましたものの、頭を殴られて気絶。再び目を覚ましたら、ちょうどこの倉庫で船に運び込まれる途中。抵抗を試みたところ再度殴られて放り出されてしまい、意識が遠のく中で船が出ていくのを見た――。

「役立たずにもほどがありますね」

 話を聞き終えたクレイはにべもなく一蹴した。

「やられてばかりじゃないですか、情けない」

「返す言葉もないがな、嬢ちゃん、そもそも俺は荒事は専門外なんだよ」

 ヴィンフリートの表情は苦々しく、まだこめかみを押さえている。

「じゃあ、あの冷血のっぽ女は何をしてたんです? あの女こそ荒事専門でしょうに」

「セラーさんも、あとの二人――ハディアとルーシャスと一緒に、船に乗せられちまったよ。セラーさんは確かに腕の立つ人だが、他の面々が気絶させられて人質に取られてたんじゃ、大人しく従うほかないだろ。相手も複数だったんだし」

「一人で逃げたりはしなかったんですね」

「んなことセラーさんがするか。彼女はハディアの護衛だ、そんな状況でハディアを見捨てるわけない」

「ふうん、そうですか。で、それに引き換え、貴方はこのざまですか」

 巨大トランクに腰掛けたクレイは、両足をぶらぶらと揺らしながら、地べたに座り込んだヴィンフリートを見下ろす。

「何とでも言え。結果的に助かったんだから、俺にしちゃ良くやったほうさ」

「おや、私が見つけて起こしてあげなかったら、いずれ凍死してたかもしれませんけどね。この寒い日に、こんな人の出入りのなさそうな倉庫で昏睡してたんですから」

「まあそれもそうだ。助けてくれてありがとうよ、お優しい嬢ちゃん」

「いえいえそんな。お礼は弾んでくださいね」

 やや皮肉気な謝辞に対して、クレイはにこりと愛想笑いで返した。ヴィンフリートは鼻白んでクレイから眼を逸らし、それで隣に突っ立っていたルーシャスを認めて、そういえば、と話し出す。

「お前さんがた、一体どうやって切り抜けたんだ? 怪我ひとつしてないみたいだが」

「私は騒ぎで目が覚めましたが、私の部屋は素通りされたようで、別に何事もなく。ルース君は寝てて気付かなかったそうです。ですよね?」

「う、うん」

「それはまた。見かけによらず図太いな、ブライアン」

「はあ」

 自分が眠りこけていたすぐ側でエイミルが拉致されていたというのだから、今考えるとぞっとする。

「でも、下手に目を覚ますよりは安全だったかもしれません。目撃者をほうっておく義理はないですからね」

「まあな。それで、その後は今までどうしてたんだ?」

「ルース君はそのまま寝てたそうで、私は二度寝して、二人してついさっき起きたところです」

「二度寝!? そんな状況でよく寝る気になれたな、逃げるとか助けを呼ぶとかしろよ」

「だって眠かったものですから。襲撃犯は立ち去ったんですから私が逃げる必要はありませんし、それに助けの求めようなんてありませんでしたし。アッザハルとしては、警察に通報されたくはないんでしょう?」

「そりゃそうだが、だからって何事もなかったように寝られてもな」

「何しろ眠かったものですから」

 クレイはけろりとして繰り返す。ヴィンフリートは辟易した顔で肩を落とした。

「まあいい。じゃああとは……そうだ、マダムはどうした? 無事なのか?」

「彼女なら、夜中に外出したきり戻ってきませんでしたけど」

「外出? 夜中に? 何で?」

 ヴィンフリートが怪訝そうに眉根を寄せる。

「さあ。出かけたのか家に帰ったのか知りませんけど、ついさっき私たちが出るまでずっと不在でした。もちろん、今朝の騒ぎのときも」

「まさか、戻りがけに奴らに襲われたんじゃ――」

「それはなさそうです。今、戻ってきたみたいですし。というより、出勤してきたってところでしょうかね、あれは」

 クレイは言いながらやや遠い目をする。また例の千里眼らしい。

 自分は既にその能力を見せつけられているからいいものの、ヴィンフリートがすぐに信じてくれるだろうか。ルーシャスは、神妙な顔つきで黙っている青年の反応をこわごわと待った。

「……見えるってのか」

 意外にも、ヴィンフリートは疑いも一笑に付しもしなかった。

「でなきゃ貴方がここにいるのを見つけて助けに来るわけないでしょう」

「ああ、そうか。そうだよな」

 特に説明もしないクレイと、さも当然のように納得するヴィンフリート。それだけで済んでしまうことに、ルーシャスは首を傾げた。ヴィンフリートはクレイの不思議な力のことを知っていたのだろうか。だが、知っていたなら見えるのかなどと訊くわけはない。

「となると襲われたのは、ハディア、セラーさん、ルーシャス、そして俺の四人か」

 自分の名前が出てきて、ルーシャスは内心びくりとする。もちろん、襲われたのは自分ではなくエイミルだ。ルーシャスのふりをしていた、エイミルが――。

「お前さんたち二人には手出しもしなかったってことは、奴ら最初から俺達四人を狙って来たのか」

「じゃないですか。朝は私も頭が回らなくてただの強盗かと思ってましたけど、考えてみればいかにも狙われそうな条件がそろってましたね、貴方がたは」

「……? あの、それって、どういう……」

 話に取り残されそうになり、ルーシャスはどちらとはなしに尋ねた。押し黙るヴィンフリートをちらりと見やってから、クレイが答える。

「アッザハルを目の敵にして関係者に危害を加えてるやつらがいるって、昨夜の話をお忘れではないしょう? つまりそういうことだと思います」

「え? でも、それはアイルランド島での話じゃ――」

 危険だから帰るなと言い含められた。それに大人しく従っていれば、アイルランド島にさえ入らなければどうということはないのだと思っていたが、違うのだろうか。

「なにも反アッザハル派がアイルランド島にしかいないとは限らないでしょう。今現在、抗争が激化してるのがそこだっていうだけで。それに、いい獲物がいるなら狩りにも出ますよ」

「獲物?」

「だってですよ。あのお節介女はアッザハルのそこそこお偉いさんってことですし、貴方のお友達はシャローマ学院の学生になるんでしょう? 反アッザハルの過激派連中からしたら、絶好の標的です。ちまちまと平の構成員やその辺の系列校の学生を襲うより、アッザハルに与える痛手は大きいですから」

 クレイの淡々とした説明を聞きながら、ルーシャスは血の気が引いていくのを感じた。

 ということはつまり、本来ならば拉致されていたのは自分だったわけだ。エイミルは学院へ行くためにルーシャスに成りすましていたばかりに、代わりに連れ去られてしまったということではないか。

 大変なことになってしまった、とルーシャスは今更ながら思った。もし自分がさらわれていたとしても恐ろしいが、それより何より、無関係なはずのエイミルを身代りにしてしまったのが心苦しいことこの上ない。意図したことではないとはいえ、とんでもない事態に巻き込んでしまった。

「……さらわれた人達って、どうなるの?」

「だいたいは人質じゃないですか。アッザハルに要求を呑ませるための。ですよね?」

 話を振られて、ヴィンフリートは答えたくなさそうに無言で顔をしかめたが、否定はしなかった。

「大した危害は加えられないはずですから、あまり心配しなくても大丈夫でしょう。どこか適当な隠れ家で監禁か、よくて軟禁される程度だと思いますよ」

 クレイは他人事のように言う。確かに彼女には他人事かもしれないが、人質だの監禁だのと聞けば、心配するなと言うほうが無理だ。

「じゃあ、エ――ルーシャス達は、一体どこに……?」

「まあ、船で逃げてるわけなんですから、沿岸部一帯を張ってればどっかで捕まえられるんじゃないですか」

「簡単に言うがな、嬢ちゃん。どの方角へ向かったかも分からないんだぞ。時間も経ってるし、とっくに上陸してる可能性が高い」

 クレイによれば襲撃があったのは明け方。この時期の日の出は八時ごろと遅いものだが、短く見積もっても四時間は経過していることになる。

「正直、今からじゃ捜すのは――」

「諦めるには性急ですよ、まだ海上にいますから」

 宙を見つめてそう断言するクレイを、ヴィンフリートがまじまじと見た。

「分かる、のか?」

「ええ。ここから南西へ百キロメートルほど沖合を、今のところ大西洋方面に向かって航行中ですね」

「……本当か? だって百キロってお前さん、どこまで見えるんだよ」

 信じられないというふうに、半ば独り言るヴィンフリート。クレイに不思議な力があること自体は疑わないのにそこは驚くところなのかと、ルーシャスはまた首を傾げた。一キロ先だろうと百キロ先だろうと、透視するのなら距離は関係なさそうなものだが。

 クレイは「さてどうでしょうね」と軽くあしらい、勢いをつけて地面に降り立った。

「そうと分かったらほら、ここでうだうだ言ってるより、さっさとこの件を然るべきところに報告して、対策を講じたらいかがですか」

「お、おお。そうだな」

 ぱん、と手を叩いて急かされ、ヴィンフリートはよろめきながら立ち上がる。

「とりあえず、一旦事務所に戻るか。マダムが無事なら、まず彼女と状況の確認をしないと」

「あの、助けられるんですよね?」

 思わず尋ねたルーシャスに、 ヴィンフリートは力強く頷いた。

「ああ。嬢ちゃんの言う通りなら、奴らの行く先に回り込めるし、打つ手はある。近辺の支部に連絡回して、救出部隊を出してもらおう」

***

 三人連れ立って倉庫を出ると、冷たい潮風が容赦なく吹き付けてきた。クレイは自分も煽られそうになりながら、覚束なげにヴィンフリートを見上げる。

「ちゃんと一人で歩いて戻れますか、リヒター氏」 

「心配無用だ、頭痛は引いてきた。どのみちお前さんたちの肩じゃあ、ちょっと借りられそうにないしな」

「それは結構。じゃあ、頑張ってくださいね。私たちはこれで失礼しますので」

「ああ――ああ?」

 外套を翻し背を向けるクレイに、ヴィンフリートは素っ頓狂な声を上げた。

「行きますよ、ルース君」

「えっ? でも……」

 促されて、ルーシャスも戸惑う。

「ちょっと待て嬢ちゃん! どこ行く気だ?」

「どこって、私は船に乗って大陸に、ルース君は列車でロンドンに戻るんですよ」

 至極当然のような顔でクレイは言った。

「勝手なこと言うなよ、一緒に来てもらわないと困るだろ」

「勝手なのはそっちです。関係ないのにどうして貴方に付き合わなくちゃならないんですか」

「関係ないこたないだろ、襲撃現場に一緒にいたんだから。詳しい話も聞かなきゃならんし、そう簡単に解放するわけには――」

「それは貴方の都合でしょうが。私達が襲われたわけでもないのに知ったことですか。だいたい話すことなんてもう何もありませんよ。奴らの居場所は教えてあげたんですし、これ以上協力してあげる義理はないんですからね」

「う……まあ、そうかもしれんが……しかしだな」

「ごねてる暇があったら、さっさと戻ったほうがいいと思うんですけど。こうしてる間にもお仲間をさらった犯人たちは遠ざかってますよ」

 クレイが鬱陶しげに睨め付けると、ヴィンフリートは渋い顔で言葉を呑みこんだ。そうしてクレイの顔と海の彼方とを見比べ、もどかしそうな表情を浮かべていたが、やがて振り切るように「じゃあな」と背を向けた。クレイの説得に時間を割くより、一刻も早く組織へ報告する方が優先だと判断したらしい。

 足早に去っていく青年を追うべきかどうか。

「あの、クレイ。やっぱり僕達も一緒に行ったほうが――」

「行ってどうするんです? さっきも言いましたが私たちがすることなんてないんですよ。後はリヒター氏とアッザハルの仕事なんですから。放っておけばよいのです」

 素知らぬ顔で欠伸をするクレイ。

 確かにルーシャスに出来るのは救出を待つことだけだったし、それならヴィンフリートと一緒にいても仕方がない。しかしそうはいっても、エイミルが無事に助け出されるのを確認しないことには、ルーシャスも自分の日常生活に戻れる気がしない。

「気になりますか」

「当たり前だよ」

 冷めた声で尋ねてくるクレイに、ルーシャスはやや非難がましく返した。クレイにしてみれば嫌いなアッザハルが痛い目を見て胸のすく思いなのかもしれないが、目の前で人が誘拐されたというのに我関せずという態度なのはどうもいただけない。

 クレイは気にした様子でもなく、ふうんと続ける。

「だったらあののっぽ青年を追いかけて一緒に行けばいいんじゃないですか」

「……? 君、放っておけって、たった今言ったのに」

「私は私の意見を言ったまでです。貴方が行こうと思うんなら止める権利はありません。一人で好きにするとよいと思います」

「でも、僕が行っても、本当に何の役にも立たないし」

 ヴィンフリートが連れて行きたかったのは、千里眼という捜索に有用な能力をもつクレイであって、自分ではない。

「でも心配なんですよね?」

「だって、その、友達が危ない目に遭ってるんだから」

「本当は友達じゃないのに?」

「……え?」

 思ってもみない返しに、ルーシャスは虚を突かれて振り向いた。

「別に仲良しなんかじゃないんでしょう? 貴方とあの少年は。彼は貴方を利用しただけですし、貴方も彼を友達だとは思ってない」

「そんなこと、ないよ」

「そうですか? 大事な友達なら自分の身代りにして危険に巻き込んだりしませんよね」

 身代り、という言葉にぎくりとする。

「私は、この状況は貴方の思惑通りでないから、そんなに気をもんでるのかなと思ってたんですけど。違いますか?」

「思惑、って、何を言って……」

 真顔でじっと見つめてくるクレイの視線から、目を逸らすに逸らせない。

「あのですね。千里眼ってのは覗き見や盗み聞きはもちろん、人の心を見透かすこともできるんです」

 それがつまりどういうことなのか、ルーシャスにもすぐに察しがついた。いや、もっと早く気付いてもよかったくらいだ。

「もう少し様子を見ようかなと思ってたんですけどね。でも貴方ときたら、自分から動く気配もないくせに友達が心配だなんてぐずぐず言うばかりで、しらじらしいったらないんですもん。ですからね――」

 クレイがにこりと微笑む。

「三文芝居はここまでにしませんか、本物のルーシャス・ブライア君」