§5

 クレイに従って辿り着いた場所は、昨日の昼以来となる駅だった。クレイは駅舎には入らず窓辺に近寄り、無言でルーシャスを促す。走ってきたせいでやや上がった息を押さえながら、ルーシャスはその窓を覗き込んだ。

 寒々しい待合室に一人きり、ヴィンフリートの姿があった。大きな旅行鞄を傍らに、ベンチに腰掛け、壁の時刻表をにらみつけている。

「どこに行くんだろう?」

 小声でクレイに問うと、同じように押さえた声が返ってくる。

「とりあえずロンドンに行くつもりのようです。が、次の列車が出るまで間があり過ぎていらいらしてますね」

「何でロンドン?」

「アッザハルのロンドン支部に直談判しに行く気ですよ。さっきの電話では本部の上司に連絡してたみたいなんですが、そこの反応が芳しくないので、上を介さずにこの辺一帯の支部に救出を呼びかけようと考えたようです。ロンドン支部は、ここドーヴァーを含めブリテン島南部の各支部をまとめる拠点らしいですから」

「そんなことまで分かるんだ」

 ルーシャスは改めて感心してクレイを見た。

「盗み聞きして心を読めば、このくらい分かります」

 クレイはさも当然という風に軽く流した。

 千里眼とは一体どんな見え方や感じ方がするものなのか、ルーシャスは今更ながら大変興味が沸いてきていたが、残念ながら今はそれを詳細に訊いている場合ではない。

「本部の人達は助けるのを渋ってるってこと、なんだよね? なのに、勝手にそんなこと出来るの?」

「いやー……予想以上に事情は複雑みたいですし、どうでしょうねぇ」

 クレイが何ともまずそうな表情で危ぶむので、ルーシャスも不安を覚える。

「複雑って?」

「それはおいおい説明します。――ともかく、普通に考えても、上が否と言ったものを若造一人の訴えで覆えすのは簡単じゃないでしょうね。あののっぽ青年もそこは百も承知の上で、直談判がだめなら自らアイルランド島の敵地に乗りこむ気みたいですし」

「乗り込むって、一人で?」

「無謀にもほどがありますよねぇ、誰かさんと一緒で」

 わざとらしく言われて、ルーシャスは閉口した。確かにヴィンフリートのことをとやかく言える立場ではない。自分も同じように一人ででもエイミルを助けに行こうと考えて、けれど一人ではやはり無理そうなので、クレイの手を借りることになったのだ。

「まあ、切り札がある貴方のほうが、幾らかましですがね。彼の場合は計画もへったくれもなく、意地になってるだけみたいですし」

「だったら、止めたほうがいいんじゃあ……」

「もちろん、そのつもりで我々は彼を追って来たんです。危険を冒すのは彼の勝手ですが、ああいう感情的に突っ走る人は何をしでかすか分かりませんからね。変に状況をひっかきまわされてはこちらも動きにくいですし、大人しくしてもらいませんと」

 ルーシャスはヴィンフリートの身を案じて進言したのだが、それに頷くクレイの言葉は打算的なものだった。しかし一理ある。

 ルーシャスが自分の身柄を交換条件にエイミルの解放を求めに行くことは、アッザハルには知られてはならない。そのアッザハル側の人間であるヴィンフリートにアイルランドの敵地で鉢会おうものなら、また面倒なことになる。アッザハル勢の手出しが一切ない方が、犯人らとの交渉に集中できるというものだ。

「でも、話聞いてくれるかな」

 窓の向こうに垣間見える青年は、あからさまではないにしろ気が立っている様子だ。クレイも「問題はそこなんですよね」と眉間に皺を寄せる。

 ヴィンフリートは上からの指示に納得できず独断で行動しようとしているという。傍目にも善良そうで真っ直ぐな性格が見て取れる彼のこと、仲間が拉致されたのを黙って見過ごすことは出来ないのだろう。クレイやルーシャスが引き止めたところで、素直に受け入れるとは到底思えない。

「さっきからちょっと考えてたんですけど……いっそのこと、彼をこっちに引き込むっていうのはいかがでしょう?」

「え?」

 意外な提案に、ルーシャスは驚いて振り返った。

「私達の作戦を手伝わせるんですよ。こちらの監視下で行動を制御できれば恐れることはありません。それに、彼を通じてアッザハルの資源を活用できれば、結構助かるんですよね。特に武器になるものとか」

「ぶ、武器!?」

「おや、丸腰で挑むつもりだったんですか」

 思わず声が上擦ってしまい、クレイに呆れられた。

「もしかして……さっき言ってた、上手くすれば利用できるかもって、そういうこと?」

「それ以外に何があるんですか。危険地帯に向かうにはそれなりの準備が必要です。私の手持ちじゃ足りませんし、調達するにも費用だって馬鹿にならないんですから」

「だからって、アッザハルと協力するの?」

 こちらの計画の妨げにならないようにとヴィンフリートを引き止めるのに、それでは尚のこと動きにくくなるのではないか。

「いえいえ、あくまでリヒター氏個人を囲うだけです。彼の地位を利用して物資をくすねる程度で、アッザハルとそれ以上の関わりを持つことはありません。もちろん、貴方の正体と本当の目的は、彼にも秘密のままでいきますよ」

 クレイは、しいっと悪戯っぽく人差し指を立てた。

 ヴィンフリートと行動を共にするからにはつまり、しばらくはブライアン・ルースという架空の少年のふりをし続けなくてはならない。それはそれで厄介だ。

「そう都合良く、力を貸してくれるかな、あの人」

 反対の気持ちを込めつつ、遠まわしに言う。実際問題として、先程ヴィンフリートが協力を請うた際にクレイは無下に断っており、それで彼の心証を悪くした可能性もある。今度はこちらから協力しろと言うのも虫のいい話ではないだろうか。

「彼も自分の組織に色々と思うところがあるようですから、そのくらいはしてくれますよ。それに彼にとっては今の状況は八方塞がりです、口車に乗せるのは容易いでしょう。そういうの私得意ですから、任せて下さい」

 クレイは自信満々だ。それでもルーシャスの不安は拭いきれない。

「本当に大丈夫? もし僕とエイミルのことがばれたら?」

「余計なことを口走らない限り大丈夫ですよ。万事私が上手く立ち回りますから、貴方は話を合わせて下されば」

「でも万が一ってこともあるし」

「そのときは、ちょっとだけ彼の記憶を飛ばせば済むことです」

「そんなことできるわけ――」

 ない、と言いかけたルーシャスだったが、まさかと考えを改める。

「できる、の?」

「ええ、催眠術のようなもので。まあ荒業なのであくまで最終手段ですけどね」

 軽くそう言ってのけるクレイに、ルーシャスはもはや何も言えなかった。透視や読心術を見せつけられた後では、催眠術など不思議でもなんでもない。

「そういうわけで、リヒター氏と話をつけに行ってもよろしいでしょうか?」

 ルーシャスは考える。どうせ二人きりで救出を決行したところで、自分に出来ることは少なく、クレイに頼りきりになるに違いないのだ。それならば彼女の負担が少しでも軽減するよう、ヴィンフリートの協力を得たほうがいいのかもしれない。

「じゃあ、君のいいように」

 ルーシャスはため息交じりに了承した。クレイが満足そうに頷く。

「ご理解感謝します。それではちょっとばかりお芝居を続けるとして――まずはそのトランク、どうにかしないといけませんね」

「え? ……ああ! そ、そうだよね、どうしよう」

 両手に提げている二つトランクうちの片方を指されて、ルーシャスはひやりとした。小さいながらも決して軽くはないそれには、札束が詰まっているのだ。このトランクを自分が持っているところを、ヴィンフリートに見られてはまずい。

「私の予備の鞄をお貸ししましょう。その大きさなら丸ごと入りますし、傍目にも分かりません」

 クレイはやおら巨大トランクを横倒しにして開き、丸まった布の塊を取り出してルーシャスに寄こした。広げてみれば、厚手の布製で丈夫そうな作りの背嚢だ。方形なのでトランクを入れても不自然に角ばらない。

「あ、ありがとう。お借りします」

「どうぞどうぞ。あとは上からタオルで覆って、このへんの食料でも詰めておいて下さい。もし中を見られても気づかれないように」

「うん、分かった」

 手渡されるままに、タオルやらビスケットの箱やら飴の袋やらを詰め込む。これならば、開けてみただけでは普通の旅荷にしか見えないだろう。ヴィンフリートが怪しんだとしても、まさかひっくり返してまで調べることはあるまい。

 出来上がった荷物を背負ってみると、増したはずの重さはあまり感じなかった。むしろ両肩に負荷が分散したので以前より楽かもしれない。こうしていれば落としたはずみに札束が飛び出ることもないしと、昨夜クレイと邂逅した際のことを思い出して、少し可笑しくなった。

「……何をにやにやしてるんですか」

 巨大トランクを閉じて立ち上がったクレイが、気味悪そうにこちらを見上げてくる。

「な、何でもない。ごめん」

 思い出し笑いが顔に出ていたのだろうか。別にクレイを馬鹿にしたつもりではなかったのだが、気を悪くしたのなら謝るしかない。心を読まれるとなると滅多なことは考えられないなと、改めて思う。そう思ったことすらも、きっとばれているのだろうが。

「参りますよ、ルース君」

 クレイはしかめ面のままぷいと背を向けて、駅舎の入口の方へと歩き出す。ルーシャスは気を引き締めながら、その後に続いた。

***

「ごきげんよう」

 扉を勢いよく開くと、クレイは軽やかな声で挨拶を述べた。ころりと態度を変えられるその演技力は見事なもので、少しでもいいから分けて欲しいとルーシャスは切に思った。

 待合室のベンチにぽつねんと座っていたヴィンフリートは、クレイの声に振り向いて目を丸くし、それから露骨に嫌そうな顔をした。

「まだいたのか。行ったんじゃなかったのかよ」

 青年の不機嫌も露わな態度に構うことなく、クレイはつかつかとベンチに歩み寄りながら、にこやかに答える。

「事情が変わりましてね。ブライア君を助けるのを手伝って欲しいと、この健気なルース君に頼まれたものですから」

 そう聞いて初めて、ヴィンフリートはクレイの背後に控えるルーシャスに気付いたらしい。苦々しげにちらりとこちらを見て、再びクレイに視線を戻した。

「やる気になってくれたところ申し訳ないんだが、何もするなとの上からのお達しでな」

「知ってますよ。話は全部、見て、聞かせてもらっていましたからね。ですから私が手伝うのは貴方がたアッザハルではなくて、ルース君です」

「は?」

 怪訝そうに眉を顰めるヴィンフリート。クレイはふふんと胸を張って続ける。

「お宅の組織に期待できそうもないので、ルース君は自らお友達を助けに行くと決めたのです。私は彼に雇われてお供することになりました」

「……何の冗談だよ。ブライアン、どういうことだ」

 ヴィンフリートが声を低めて尋ねてくる。ルーシャスはクレイの顔を窺い、彼女が小さく頷くのを見て、口を開いた。

「いえあの……冗談では、ないです」

「馬鹿を言え!」

 途端、ヴィンフリートが語気を荒げた。

「昨夜あれだけ言ったのにまだ首を突っ込む気か。この状況見りゃあ、ただの脅しじゃねぇってことがよく分かっただろうが。お前らみたいなガキにどうにかできるんなら苦労はしねえよ、妙なこと考えてないでさっさと学校に帰れ!」

 温厚で朗らかな印象を抱いていた青年があまりの剣幕で凄むので、ルーシャスは思わず身を強張らせた。だが、クレイは臆することなく言い返す。

「自分が上手くいってないからってこちらに当たらないで下さいよ。貴方だって私達と五つも違わない青二才じゃないですか。ロンドン支部まで出向いたところで、誰が貴方なんかの話を聞いてくれるんです? そちらこそ無駄な悪足掻きはおよしなさいな」

 するとヴィンフリートは、クレイをきっと睨んだ。

「どうしようと俺の勝手だ。無駄かどうか、やってみなきゃ分からんだろうが」

 否定しないあたり、果たしてクレイの読み通りであったらしい。そして驚く気配もないということは、やはりこの青年は、クレイが心を読めることも先刻承知だったのだろう。

「そんなこと本気で思ってもいないくせに」

 クレイは頑なな態度のヴィンフリートを鼻で笑った。

「アッザハルの中央集権的な体質は、貴方には身に染みてようくお分かりでしょう。お偉方の意向に背いてくれなんて話、通るわけないです。まして貴方がお考えのように――この件に裏があるとしたら、尚更」

 含みを持たせた言い方に、ヴィンフリートの表情が険しくなる。

 それはルーシャスにも聞き捨てならない言葉であった。裏がある、とは何のことか。尋ねたくとも迂闊に口を挟むのは憚られ、黙ってクレイを見やると、クレイは心得顔で続ける。

「さっき言った複雑な事情というのがこれですよ、ルース君。リヒター氏によれば、この拉致騒ぎは仕組まれたものだったのかもしれないんですって」

「仕組まれたって、どういう――」

「おい、余計なこと吹きこむな、ブライアンには関係ない! お前さんもこれ以上勘ぐるのは止めろ」

 訊き返そうとしたルーシャスを遮って、ヴィンフリートが強い口調で止めに入った。

「今更隠したって不安を煽るだけですよ。それに私達はブライア君を助けに行くんですから、情報を集めるのは当然です」

「分からん奴だな、部外者は黙ってろって言ってんだよ! これはアッザハルの問題だ」

「組織員でもない一介の学生を巻き込んでる時点で、ことはお宅だけの問題とは言えないと思うんですけど?」

 クレイがぴしゃりと言うと、ヴィンフリートは唇を噛んで黙った。

「で、話を戻しますとね」

 険悪な雰囲気に萎縮していたルーシャスに、クレイは何事もなかったかのように話を再開した。

「アッザハルは反乱勢力から目を付けられやすいような人員を用意して、拉致されるように仕向けたんじゃないか、ってことです」

「な、何でそんな話になるの!?」

「リヒター氏から連絡を受けた本部の上司が妙に驚いていたというか、リヒター氏が無事であったことにかなりうろたえていたようでして。一人でも無事なら少しくらい安堵しそうなものですのにね。それでどうも怪しいと、リヒター氏は睨んだようです」

「怪しいって……」

「つまり、その上司は反乱勢力が襲いに来ることを予測してたんじゃないかと。知ってて黙っていたなら、端から拉致させるつもりだったのではと。それなら救助する気がないのも頷けます。ですよね?」

 クレイが軽い調子でヴィンフリートに話を振った。しかしヴィンフリートはそれには答えず、険しい表情のまま静かに問い返す。

「お前さん、昨夜言ってたよな、ハディアとセラーさんが隠し事をしてるって。彼女らは、自分たちが襲われると分かっていたのか」

「さてね。あの二人の胸中は漠然としか分かりませんでしたし、確たることは何とも。今思えばそうだったのかも知れません。貴方とブライア君を騙して危険な目に付き合わせる気でいたなら、私の忠告通り、よくない隠し事だったでしょう?」

 それ見たことかとばかりにクレイが言うと、ヴィンフリートは苦々しげに視線を逸らした。この二人は昨夜も何か話したのだろうか。

「あの……色々と、よく分からないんだけど……」

 ルーシャスはおずおずと口を挟んだ。クレイにも心が読めない場合があるらしいのも気になるところであったが、ハディアとキアナの二人が敵襲を予め知っていたかもしれないとはどういうことか。

「ですから、あのお節介女とのっぽ女は、全部承知の上でさらわれてやった可能性があるんですよ。実は、反アッザハル派の連中をおびき寄せて、捕まったふりして敵の隠れ家に入り込む、なんて極秘任務でも受けていたんじゃないかと」

「そんなわけ……だってそしたら、リヒターさんが知らないのは? 何でハディアさんとセラーさんだけ?」

「だってリヒター氏が任務だと認識してたら、敵にばれる危険性があるじゃないですか」

「……どういうこと?」

 話がさっぱり理解できず、ルーシャスは首を傾げた。クレイが面倒臭そうな顔をする。

「えーと、どこから説明しましょうかね……」

「おい待て嬢ちゃん、一般人に教える気か」

 話し始めようとしたところを、ヴィンフリートが慌てた様子で咎めた。

「また今更なことを。ルース君はさんざん私と貴方のやり取りを側で見てたんですよ。だいいち、私の能力を買って雇ったんですから、知らないわけないじゃないですか」

 クレイに馬鹿にされたように言われ、ヴィンフリートは「それはそうだが」と不満そうに口ごもった。

「あの、聞いちゃいけないことだった?」

 クレイは何でもないことのように話すし、ヴィンフリートもクレイの能力を当たり前のように受け入れていたので、ルーシャスは自分が物を知らないだけかと思っていた。秘密にした方がいいことなら、根掘り葉掘り聞くのは気が引ける。

「いいえ、別に秘密にするほど大層なことじゃありません。この手の人間はいくらでもいるんですからね。程度の差こそあれ、心を読む能力だってそんなに珍しくないんです」

「そうなの!?」

「そうなんですよ。ですからつまり、反アッザハル派の奴らの中に読心能力者がいても不思議ではないってことです。せっかく人質になったふりをして潜入しても、それがばれちゃあ意味がありませんでしょ」

「ハディアさんとセラーさんだと、そうはならないってこと?」

「ええ。あの二人は心を読ませない能力を備えています。私でもあいつらの考えは読みとれませんでした」

「心を読ませないとか、できるものなの?」

「出来ますよ。ポーカーフェイスってあるでしょう、あれを心でやる感じです」

 簡単に言ってくれるが、具体的にどうするのか想像もつかない。考えを読まれないよう無表情を装うのがポーカーフェイスだが、では考えを直接読んでしまう相手に対して、一体どこを装うというのだろう。

「ですが、それで本音を隠したとしても、隠しているということ自体は分かるものです。で、あの二人、実は隠し方があまり上手くなくて、嘘ついてるとき特有の嫌な感じが見て取れたんですよ。側にいたリヒター氏が勘づきもしないので、一言忠告したんですけどねぇ」

 ちらりと横目で見やるクレイに、ヴィンフリートが心外そうに反論する。

「まさか昨日の今日でここまでの事態になるとは思いもよらんだろ」

「まあ確かに、貴方を責めるのはお門違いですかね」

 とすると、昨夜の時点でクレイはハディアとキアナが怪しいと感じていたらしい。

「じゃあ、だから、あの二人は秘密の任務を負っていたんじゃないかってこと? でもそんなややこしいこと、何のために?」

 わざわざ敵を誘い出して拉致されるふりをする意味がわからない。潜入するのが意図なら、そこまで回りくどい演出をしなくても、他に方法がありそうなものだが。

「例えばそうですね、人質として捕らわれたという体をとれば、相手方が優勢であるように錯覚させて、油断を誘うことができます」

「はあ」

「加えて価値の高い人質となれば、反乱首謀者も放っておかないでしょうから、敵の本拠地まで連れて行かれたり、首謀者や幹部と対面して交渉する機会もあったりするかもしれません。普通に密偵送った場合より貴重な情報が得られるでしょうね」

「ああ……なるほど」

「いずれにせよ、アッザハルとしても内部抗争をいつまでも放ってはおかないでしょうから、そろそろ何かしら仕掛ける気でいて、それが今回の件だったとしてもおかしくありません」

 そうなのだろうか。納得しかけて、ルーシャスはいやいやと頭を振った。

「待ってよ。だったら、その……ルーシャス、は? シャローマ学院編入の件は、どうなるの?」

 自分の名前を口にすることに違和感を覚えつつ、疑問を口にする。

 色々と突飛な話に呑まれて危うく忘れるところだったが、ハディアもキアナもヴィンフリートも、ルーシャスを迎えに来て、アルマディナまで送り届けるという役目で遣わされたはず。もし本当の任務が反アッザハル派の隠れ家への潜入であったなら、ルーシャスの学院への編入云々の話が前提から崩れてしまうのではないか。

「恐らく、ブライア君を迎えに来たなんてのは建前でしょう。ブライア君をシャローマ学院の編入生に選んだのも、敵を釣る餌にするためだけだったのかもしれません。だから拉致されて行方不明になっても後腐れのない、孤児の少年が選ばれた、とか」

 クレイがにやりと口元を歪める。本気で言っているのかそれとも演技なのか、ルーシャスには判りかねたが、何にせよぞっとしない。

「黙って聞いてりゃ好き勝手言いいやがって。お前さんがアッザハルを気に入らんのは自由だがな、憶測で中傷される謂れはねえよ。ブライアン、こんな奴の言うこと真に受けるな」

 ヴィンフリートが不愉快そうに吐き捨てた。

「おや、ほとんど貴方が可能性として一度は考えた事ばかりですけど。貴方だって腹の底では、自分たちを捨て駒にした上の連中にむかっ腹立ててるくせに。自分の所属組織の体面を保ちたい気持ちは分かりますけど、現実逃避はやめましょうよ」

 クレイが冷やかにヴィンフリートを見上げる。

「少なくとも、本部の上司やあの女どもが敵襲を予見していたという疑いは、貴方からしても濃厚なわけでしょう? でしたら、この件は最初っからアッザハルにとって計画されていたことなんでしょうから、やっぱり貴方一人でどう頑張っても、どうにもなりませんよ。大人しくしていればいいでしょうに」

「うるさい、ほっとけ! とにかく何とかしないと……このまま黙って引き下がれるわけないだろ!」

 ヴィンフリートが悔しそうに唸る。

「捨て駒にされたかもしれないってのは、俺はまだいいさ、それも仕事の内だと思えばな。けどルーシャスは違う。嬢ちゃんの言う通り、アッザハルの身内でもない、何も知らない子どもだ。それを巻き込んだ上のやり口は間違ってると俺だって思うし、だからこそ俺には素知らぬふりなんざ出来ない」

 真摯に思いつめた表情で語る青年に、クレイはふうんと気のない相槌を打ち、

「そういうことでしたら、私達と一緒に来ます?」

 さりげない風を装ってそう言った。ここにきてようやくの誘い文句に、ルーシャスは息を呑んで青年の返答を待つ。

「……何だと?」

 ヴィンフリートは、ひどく面食らった様子で訊き返した。

「ブライア君を助けたいってところはどうやら同じみたいですし、協力して損はないでしょう。救助部隊を出すよう頼んで回るより、私達と一緒に自らの足で助けに行った方が早いですよ。ルース君も、そう思いません?」

「えっ、うん、そう、だね」

 たった今思いついたかのように提案を述べるのクレイに、ルーシャスは内心冷や冷やしながら話を合わせる。

 クレイの真意を測りかねてか、ヴィンフリートは疑わしげに眼を眇めた。

「何を企んでやがる? 俺はてっきり、お前さんには嫌われてると思ってたんだがな」

「企むだなんて人聞きの悪い。仕事に私情は持ち込まない、基本中の基本でしょう」

 嫌いという点は否定しない回答に、ヴィンフリートは少々むっとした様子だったが、クレイは構うことなく続ける。

「こちらとしても、二人よりは三人のほうが心強いってもんでしてね。なにしろルース君は完全に素人ですから、少しは物慣れた人がいてくれれば助かります。それに貴方は色々と役に立ちそうですし」

「……俺に何させようってんだよ」

「いえね。貴方の権限で、武器その他諸々使えそうなものをアッザハルの備品からお借りできればなあ、なんて思いまして。もちろん、私達については極秘で」

 悪びれもせず、ずけずけと頼むクレイ。その下心は隠すつもりはないらしい。ヴィンフリートは得心がいったように皮肉気に笑う。

「なるほど、そっちが本音か。体よく俺を利用する気ってわけだ」

「そこはお互い様ってことで。貴方とて私達の作戦に便乗しなければ目的は果たせないわけですからね」

「大した自信だな。お前さんがいれば確実に助けられるってのかよ」

「勝算もないのに危険を冒すほど、私は馬鹿じゃありません」

 クレイは不敵な微笑みを浮かべて答えた。

数秒の間、ヴィンフリートは厳しい表情で考え込んでいたようだったが、やがて顔をあげ、ベンチから立ち上がる。

「いいだろう。乗ってやるよ、お前さん達の作戦とやらに」

 肯定の返事に、ルーシャスはほっと胸をなで下ろした。

「やりましたね、ルース君! これで経費が浮きますよ」

 クレイが上機嫌で片目をつぶって見せると、すかさずヴィンフリートが釘をさす。

「調子に乗るなよ、嬢ちゃん。完全にお前さんを信用したわけじゃないからな。ブライアンのことも放っておけんし、俺は見張りがてらついてくもんだと思え」

「はいはい、保護者気どりでもなんでもどうぞ。利害の一致する点において協力を得られればそれで結構ですから」

 さして意に介する様子もないクレイ。ヴィンフリートはため息をひとつついた。

「で、作戦の段取りは? これからまずどうする気なんだ?」

 そうですね、とクレイは懐から地図を取り出して広げる。

「とりあえずは、標的を追いかけなければなりません。奴らの船がどこに向かうかにもよるんですけど……今のところブリテン島寄りに進んでいますから、大陸方面は除外していいでしょう」

「やっぱりアイルランドを目指しているんじゃないのか。反アッザハル派の拠点はそっちだし、重要な人質を連れていくとなればなおさら」

「でしょうね。なので私達はこう、列車で内陸を横切って、この辺りの港から船に乗ると、この最短経路をとろうと思っています」

 地図の上をなぞるクレイの指を、ルーシャスも目で追う。

 現在地であるドーヴァーから一旦ロンドンへ行き、そこから西へと列車を乗り継いでいけば、アイルランド島に向かって突き出たペンブロークシャー海岸に辿り着く。港もいくつかあることだろう。ルーシャスが六年前に進学のため故郷から出てきた際とは、また違う経路である。

「ただ、当てが外れて目標が他の場所に向かうことも考えられますから、あちらの動きを見ながら適宜進路を変える必要もあるでしょう。本当は海岸沿いに後を追えれば単純でいいんですが、なにぶん足がありませんし……車とかって、用意できません?」

 クレイがちらりと見上げると、ヴィンフリートは眉根を寄せた。

「出来んことはないだろうが、車じゃ格段に遅くなるぞ。それじゃ鉄道で遠回りになるのと変わらないんじゃないか」

「まあそうですよねぇ。どのみち陸路じゃ船の速さには敵いませんし、効率にこだわっても仕方ありませんかね」

 残念そうに口を尖らせるクレイ。

「あの、こっちも船を出すっていうのは、無理なの?」

 ルーシャスは遠慮がちに訊いた。陸路より海路が速いなら、こちらも海路で行けばいいのではないのか。

「それが理想的ではあるんですがね、考えても見て下さい。ここからアイルランドまで行くかもしれない船を追いかけてくれなんて頼み、聞き入れてくれる奇特な船乗りさんがいるわけ――」

 クレイは論外だとばかりに首を横に振ったが、途中で言葉を切り、目を丸くしてヴィンフリートに視線を移した。

「……貴方、船の操縦なんて出来るんなら早く言って下さいよ!」

「うえっ? いや、出来るったって、ただの趣味っつーか遊び程度だし、そう言われてもな」

 急に叱り飛ばされ、ヴィンフリートは素っ頓狂な声を上げてたじろいだ。察するに、彼は自分が船を扱えることをふと思い浮かべでもしたのだろう。

「趣味で舟遊びなんてどこの富豪ですか、全く。まあこの際何だっていいです、是非ともその技術を有効活用しなければ」

 仲間に船を扱える者がいるのなら、船乗りを探すまでもない。態度を一変させ期待の眼差しを向けるクレイに対し、ヴィンフリートは何とも言えない表情で頭を掻く。

「しかしな、船がなきゃ話にならんだろ。それも追いかけるとなりゃ、かなり速度が出て長距離に耐えるものでないと」

「でしたら船を探すまでのこと。手始めに、ドーヴァー支部で保有している船をあたって貰いましょうか。どうせここでじっとしてたって、列車はまだまだ出ませんしね」

 有無を言わさぬ笑顔でそう言い、クレイは外套を翻した。